昨日は講演会の後の懇談会に出て遅くなってしまったので、報告だけで終わってしまった。一晩経って、自分なりの感想などを書いてみたい。
まず私自身この本を読んだとき、面白かったがそれほどの衝撃を受けなかった。まがりなりにも、自分はIT企業の研究所で仕事をして、しかもシリコンバレーに住んでいた。梅田さんの人気ブログ 英語で読むITトレンド をずっと読んでいた。つまり少なくともこの3年くらいに起きたITでの大変革はリアルタイムに肌で感じていた。「ウェブ進化論」はそれを系統的にうまくまとめてくれた本であった。
今回の講演で印象に残ったのは、日本でこの本に対する反響が非常に強く、しかも二極分化している(現在進行形)ということであった。若い世代には受けがよく、一人で何冊もまとめ買いして、親や上司に読ませようとまでしたそうだ。それに対してその「親・上司世代」の人たちは、拒否反応を示したり中には「怒っている」人もいたそうだ。
私は世代的には梅田さんと同年代なので、年齢的には「理解できない上の世代」なのかも知れないが、幸運にもIT産業に身をおいているため「受け入れることができる世代」のグループにいる。
自分自身日本の会社で働いたこともあるので、日本の会社で働く人たち(の一部)が「ウェブ進化論」を受け入れられないという感覚は分からなくはない。15年以上前だが、私は「日本の会社ではソフトウェアは作れない」と実感した。なぜなら、ソフトウェアをプログラムの行数で工数を見積もってみたり、その上で「何人月」という単位で人的リソースを割り当てようとしていたからだ。人的リソースはすなわち人件費であったり、外注の会社を使う際の予算の見積もりに使われていたのである。しかし、ソフトウェアは人数をかければ早く作れるというものではない。
確かにそういう部分はないわけではないが、基幹となる部分は「ハッカー」と言われるくらいの天才が作り、それはなるべく少人数であることが望ましい。木の幹と枝ができれば、残りの葉や花の部分はそれこそレベルの低いプログラマーをたくさん集めて人海戦術でできる。しかし、この「基幹部分を一部の天才が作る」ということが、日本の会社ではできなかった。なぜかというと、会社の組織がそれに対応できていなかったためだ。つまり当時は部長クラスの人というのは、もともとがソフト屋ではなく、ハードウェアなど目に見えるものを作っていた人たちであった。彼らが経験していた工学は、ソフトウェアには通用しなかったのだ。
工学だけならともかく、その古い開発手法というのは会社の組織構成やマネジメントにまで染み付いていたのだ。ソフトウェアという新しいものを作るために、新しい開発手法や組織管理を導入することに抵抗があったということであろう。それから15年あまり経って、作るものはソフトウェアからITサービスへと代わった。梅田さんの言を借りれば、ゼロコストで(自宅のPCで作ったり、あるいはオープンソースコミュニティによって世界中のボランティアを使えるという意味)作ったものを、世界中のユーザに提供することができる。開発方法もコストの考え方も、さらにドラスティックに変化したということなのだ。
もちろんこのような世界になれば、昔ながらの開発方法も会社の組織管理も通用しない。新しいものを作りたければ、新しい開発手法を取り入れればよい。しかし、それによって今まで慣れ親しんだ(身に染み付いた)組織は捨てられない。そればかりかウェブという新しい波によって、自分が持っている領域が侵される予感がしてしまう。これが「ウェブ進化論」に対する激しい拒否反応や怒りとなって表れるのではないか。
しかし、ウェブでおきている諸々のことは、当然のことながら止めることはできない。会社の組織も社会システムも新しいものに変わっていくのは仕方ないことなのだ。「ウェブでおきている大変革は自分には関係ない。リアル社会とウェブは別モノだ」と言っていては、それこそ「真綿で首を絞められる」ことになりはしないか。
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