今日ストリームのポッドキャスティングを聞いていたら、阿曽山大噴火が「大阪万博展を見に行った」と喋っていた。これは「1970年大阪万博の軌跡 in 東京 開催!」というものだそうだ。こんなものをやっていたのか。行きたかったなあ、これ。日本にいたら15回くらいは行ってただろうなあ。
小学生の時、この万博に15回足を運んだ私にとって、「EXPO '70」「大阪万博」「太陽の塔」「人類の進歩と調和」といったワードは、一生忘れることのできない懐かしワードなのである。みうらじゅんがよくこの大阪万博のことを書いているが、ある年代以上で子供の時期を関西で過ごした人間にとって、このEXPO '70が与えたインパクトは「一生もの」なのだろう。
当時この万博のあった千里ニュータウンに住んでいた私 は、近所のお兄さんに連れられて、建設中の時から会場を見に行った。そして万博が始まると東京から親戚が見に来て家に泊まっていったのを鮮明に覚えている。その人たちと万博に一緒に行くうちに、勝手が分かるようになり、自分1人で見に行くようになった。
1970年の夏休みに、小学校で「友達と一緒に万博に行っては行けません」という通達が出たのだが、「1人で行くなら違反してない」と勝手な解釈をして、1人で見に行った。長蛇の列ができるパビリオンでは、子供1人だと列で前の人を抜かしてもあまり文句は言われなかったのだ。
懐かしの大阪万博EXPO70日本万博博覧会 というサイトを見ていたら、万博クイズ館というページがある。「パビリオンクイズ」ってのがあって挑戦してみたらほとんど正解できた。初級は10問(全問)正解、中級は1問、上級は2問間違えた。
薄いドームみたいなアメリカ館、円柱が5つの日本館、三角がねじれたようなソ連館あたりは、スケッチを描くくらいのことはできる。他はどんな形をしていたかよく覚えていない。しかし「漢字が書けないけど、読むことはできる」じゃないけど、写真をみたら「あ、英国館」「これはスイス館」と次々に名前が出てくるのが自分でも驚きだった。「せんい館」とか「みどり館」も写真を見たら分かったのだが、一体何のパビリオンだったのか分からない。
この時やたらと万博に行ってはパンフレットやらグッズを持ち帰っていたのだが、度重なる引っ越しでほとんどなくなってしまった。今ネットオークションにでも出せば大金になっていたかも。
また、レゴで万博のパビリオンを作るなんてこともやっていた。思えば、ここからモノ作り、ひいてはプログラミングの素養ができたのかも知れない。まさに万博は人生に多大な影響を与えたと言えるのだ。
月の石とか見に行きたかったなあ。
投稿情報: ちゅう | 2009-01-30 23:37
万博少年だったとは!?
万博が人の一生を決めてしまう威力があるとは、感激です。
開催者側の人たちにとっては感慨無量の感想でしょうね。
次の上海万博への参加は?
投稿情報: TAM | 2009-01-31 01:22
> 月の石とか見に行きたかったなあ。
阿曽山が「月の石を見た」と言ってました。細かい破片をガラスケースに入れたもので、ショボイです。当時は「人類が月に行く」ってことで大騒ぎになってたけど、今見たら感慨はないのかも。
「ストリーム」の中で、小西克哉が「動く歩道はあの万博から始まった」と言ってました。たしか阪急の万博前駅から会場まで動く歩道があった記憶が。小西さんも関西出身ですね。
投稿情報: Jabroni | 2009-01-31 12:23
> 次の上海万博への参加は?
我々にとっては
EXPO '70の前にも後にも万博なし
です。沖縄博もつくば博も、あい地球博も、万博ではありません。
投稿情報: Jabroni | 2009-01-31 12:26