そもそもなぜ、San Francisco 49ersのホームスタジアムが、Santa Claraに移転することになったのか。
現在の49ersのホームスタジアムはCandlestick Parkという。San Francisco市の南西のはずれにある。
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Google MapでCandlestick Parkを出して、思い切り拡大したらこうなる。一目見て分かるのが、非常にいびつな形をしているということ。それはこのスタジアムが野球とフットボールの兼用スタジアムとして作られているためである。写真でグラウンドの左下の部分が、バックネットになる。レフト側は野球の球場に見えるが、ライト側は潰されている。これは2002年にMLBのSan Francisco Giantsがここから出て行ってAT&T Parkというところに引っ越した後、49ers専用のフットボールスタジアムになった時に、赤の濃い座席を作ったためである。この「東側スタンド」を後から取り付けたために、1階席のある部分は死角になっているため、グランドが見えない。
ちなみに、最初は野球専用のスタジアムだったが、1971年から49ersもここに入って、野球とフットボールの共用スタジアムとなった。いびつな形以前に問題なのは、このスタジアムができたのが1960年と古いこと。NFLのスタジアムの中では最古になっている。選手のロッカールームは暗く、通路やトイレなども昔の基準のままである。
そこで過去に何度となく、建て直しの話が持ち上がった。1997年にはSan Francisco市は、このCandlestick Parkを建て直し、加えてこの近辺をショッピングセンターとして再開発することを決め、1億ドルの予算を決定した。うまく行けば2002年には新スタジアムができて、2003年の第37回スーパーボウルを誘致できるはずだった。しかし、49ersと建設を計画した会社との間で調整がつかず、このままこの計画は立ち消えになってしまった。
同じころ、49ersのオーナーのEddie DeBartolo Jr.は、Louisiana州の知事への贈賄事件で有罪となり、チームのオーナーの資格を失うことになった。彼の妹のDenise DeBartolo Yorkとその夫John Yorkにチームが譲渡されるが、この夫婦はEddieほど経営に熱心ではなく、チームに金を注ぎ込むことを嫌った。そのためEddieの頃には黄金時代だったチームは下位に低迷し、スタジアム問題も凍結となってしまった。
2006年に、San Franciscoの新市長となったGavin Newsomは、この地域の再開発を再びぶち上げる。その意図は2016年のオリンピックをSan Franciscoに招致するというものであった。その目玉として、現Candlestick Parkを完全に建て直し、これをオリンピックスタジアムとする。オリンピック以降は49ersのホームスタジアムになる。またついでにスタジアム近辺を再開発するはずであった。しかし、あまりにもオリンピックを推進するNewsom市長とYork夫妻の間にズレが起きて、49ersはこの計画から下りてしまった。
ここでNewsom市長のCandlestick Parkの再開発+オリンピック招致計画は頓挫してしまう。このオリンピック招致のその後は、ご存知の通り。アメリカのオリンピック候補地はシカゴに決まり、IOCの総会ではそのシカゴはリオデジャネイロ、マドリード、東京と争って、リオデジャネイロが2016年のオリンピックを勝ち取った。
一方、San Francisco市、というよりもNewsom市長に不信感を覚えたオーナーのYork夫妻は、Candlestick Pointでの建て直しをあきらめ、そこからSanta Clara案に急展開した。それはつまり、49ersが現在練習施設を持っているSanta Claraの土地の隣にスタジアムを建設して、チームをそこに移転するというものである。
ところが、これもそう簡単ではなかった。
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