昨日はJTPAの月に一度のセミナーに出席。俣野努氏による「もの造りと私」という講演であった。俣野氏は自動車のデザイナーで、現在はAcademy of Art Universityの教授をしている。いつもプログラミングの話題が多いこのセミナーだが、ちょっと趣向が違う内容だった。
俣野氏は1980年代にアメリカの大学に留学し、デザイン工学を学びFordに入った。その後、オーストラリアのデザインセンター、ドイツのBMWに移り、アメリカに戻ってカリフォルニアのMazda工場に入る。そこで作ったのがMiata(ユーノスロードスター)。現在は大学に移って工業デザインを教えている。分野は違うが、技術者で世界を股にかけているという点であこがれるものがある。
実はJTPAで俣野氏の話を聞くのは2度目。前回は4、5年前だった。留学してからMazdaに移るまでの話は、前回もしておられたように思う。その後、工業デザインの実例として、SUV、ポルシェのヘッドライト、ポルシェの側面、WVビートルの旧モデルと新モデルの問題など、車のスケッチを使った説明は面白いものだった。
最後に前回と同じことを聞いてみた。それは、俣野さんのように外国にあえて入っていくようなデザイナーがいたり、自動車メーカーが国外にデザインセンターを作ったりしていると、自動車デザインに国境がなくなり、国独自の特徴がなくなってしまうのではないかということ。例えばアメリカの車は1980年代までは「いわゆるアメ車」という形をしていたが、今はGMでもFordでも、日本車と同じような車を作っている。俣野さんの答は以下のようなものだった。
- アメリカやヨーロッパでは昔馬車が使われており、そこから車が作られてきたので歴史が古い。「らしさ」はそのような歴史から生まれた。
- アメリカ車は1980年代の排ガス規制で大きく変わらざるを得なかった。
- 自動車が発明されてから発展した国では、「らしさ」は生まれにくい。日本車も「日本車らしい」というものはできなかった。
- 中国やインドといった新興国も、独自の文化を作ることはできないだろう。(これは、最初から輸出を念頭においているので当然かも)
- 中国、インドは最初から最新の工場で生産を始めることができる。そのため技術的にはトップになるだろう。Hyndaiなど、韓国のメーカーは新興国だったが、最初からアメリカに最新式の工場を作り、技術的にはナンバーワンになった。
最後の話はなかなか興味深いものだった。歴史はないと独自のデザインを創ることっはできない。しかし、技術的にはトップに立てるのだという。
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