今日(正確には昨日)は、桑港赤門会という大学の同窓会があった。San Franciscoの南、Daly CityにあるLake Merced Golf Clubのクラブハウスでの昼食会であるが、同会の新年会も兼ねていた。この会に出るのは今回が初めてである。実は去年こちらのテレビのアジア系チャンネルのTVボードというコーナーで、(去年の)新年会のお知らせが出た。その時はじめてこんな会があることを知ったのだが、メモする間もなく画面が切り替わってしまった。その後Mixiのコミュニティで桑港赤門会を見つけて入会して、今回の新年会にようやく出たのである。
これはクラブハウス前に出ていたポスター。東京大学の正式な英語名称はUniversity of Tokyoなので、Tokyo Universityというのは間違いである。なぜこんな細かいことを指摘するかと言うと・・・
桑港赤門会の桑港とはSan Franciscoの漢字綴りである。これは日本語の漢字表記であって、中国語では「旧金山」と書くらしい。それはともかく、そういう古い表記をつけているだけあって、設立が古いのだろうと思っていた。しかし今日の会合に出た話によると、それほど古いものではないらしい。
会長の紹介によれば、昔はサンフランシスコの領事館が日本人のコミュニティ支援のために、現地の東大同窓会を維持していたそうだ。当時は領事館がレストランの予約など会合のお膳立てをしてくれて、卒業生たちは1年に1度会合に出て、名ばかりの会長職を年の順に引き継いでいたそうな。
しかし大学の同窓会はプライベートなイベントである。当時の領事館に東大卒の人が多かったのかも知れないが、領事館がある大学の同窓会の支援をするなんてのは、公私混同でもある。そういう批判があったのかどうか分からないが、その後領事館は手を引いたため、卒業生自身が運営するようになったということである。今は現会長と数人のボランティアが名簿管理と、ウェブサイトの運営を行っている。今回のような会合も今年がまだ2回目だそうで、これから会を活発にしていきましょうという雰囲気であった。
日本人が50人(家族も出席可であった)も出る会合に出るのは久しぶりであったが、今回は東大の同窓会。すなわち出ている人の大半は「東大出」の人たちである。なんだか久しぶりに東大の生態を見た思いがした。
議論と理屈が好きである
今までは個人的な集まりであったが、会員が増えてきたため、団体としてのTax ID(納税番号)を取ることになった。そこで「ちゃんと会らしい会にしよう」ということになり、「会則」を設けることになった。そこで幹事の人がどこかからテンプレートを取ってきて、それを元に「草案」を作り、これを会則として承認しようということになった。ふつう会則なんてものは「誰かが作ってくれるもの」であって、まともに読むことはない。ところが今日はこれを皆で議論して承認してくれということになり、だんだんと会の雰囲気が「東大モード」になってきた。会員の過半数が賛成すればこの会則が承認されるということだったのだが、まず自分が会員なのかどうか分からない。会員の定義は会則に書いてあるのだが、「会費を払う」ことが会員の条件になっている。ところがその会費については後で議論するという。その後、この会則をこの場で一つ一つ読み上げて議論するかしないかという議論になり、結局幹事が要点を説明することになった。そしてそこでまた言葉の定義についていちいち突っ込みが入って喧々諤々の議論になるのである。
手続きにこだわる
一つ議論になったのは桑港赤門会という名称。これは会則の第一条として定義してあるのだが、「桑港」という言葉にはなじみが少ない。それにサンフランシスコ以外からも多くの人が来ている。しかし、これは領事館が運営していたころからの名前で、東京大学の全卒業生の名簿を管理する同窓会にもこの名前で登録されており、それを変更するのは面倒なのだそうだ。ただの親睦会なので、名前なんか自分で決めればよいのだが、やはり東大とのリンクは切りたくないようだ。結局「伝統を重んじる」というより「手続きが面倒」という理由でこの名前は承認された。また、承認するたびに挙手で議決を取った。過半数を超えたらOKなので、今回は17人以上が手を上げたら賛成多数となる。議長が数えて「17人以上いるので過半数いますね。」と言ったら、「ちゃんと何人いるかカウントするべきだ」という意見が出たので、結局30人以上の賛成票をいちいちカウントすることになった。この議長は幹事の1人がボランティアでやっていた。彼も最初は「司会」ということで喋っていたのだが、会則が承認されると「今から議長になりました」と言っていた。
それでも時間通りに終わる
ある意味、これが一番の驚きであった。この総会の後、会が作ったウェブサイトの説明があり、景品の抽選会があって、閉会の辞、さらに外で記念撮影が行われることになっていた。ところが会則の承認で延々と議論が行われてしまったので、時間は予定オーバーのはずだった。ところが、その後いくつかのイベントをこなして外に出たときはちょうど3時頃であった。当初は「歓談の時間」があって、それが削られれたのだろうか?あるいはあの総会は最初からあれくらい時間を使うことを計算していたのだろうか?
東大は巨大な大学なので、別の学科や学部は別の大学のような感覚があって、大学全体で同窓の意識は弱い。東京では学科ごとに同窓会のようなものが行われるが、全学で行うことはほとんどない。ところが海外に出てみると、ここサンフランシスコ近郊で全学部、しかも年寄りから若い人まで合わせて50人くらい集まる。これが集まって会合するには手ごろなサイズなのかも知れない。今回の会合ではいろいろな人に会えて楽しかった。今回の議論は横で見物するだけだったが、「表のポスターの英語表記が間違っている」とか言って、場を盛り上げてもよかったかな。
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